
『Save the Cat!』をビートごとに読む――一行のアイデアが構成になるまで
Save the Cat!: The Last Book on Screenwriting You'll Ever Need · 著者 ブレイク・スナイダー
構成は一ページ目より前に始まる。アイデアを一文で言えず、ページ配分の曲線にも置けないなら、どれほどよいシーンを重ねても全体はまとまらない。
読む言語: 日本語
解説の底本: 英語 · 原著言語の版
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版と出典
- 原著の言語
- 英語
- 解説の底本
- Save the Cat!: The Last Book on Screenwriting You'll Ever Need · 英語 · 原著言語の版
- 出版社
- Michael Wiese Productions
- 出版年
- 2005
- ISBN
- 9781932907001
解説と引用は上記の底本に基づいています。以下に掲載する翻訳版の書誌情報は、この解説がその版を使用していることを意味しません。
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SAVE THE CATの法則 本当に売れる脚本術
確認日
SAVE THE CATの法則 本当に売れる脚本術
フィルムアート社 · 2010 · ISBN 9784845910564 · 訳者 菊池淳子
この本について
- 初版刊行
- 2005年 · Michael Wiese Productions
- 構成
- 全八章。ほかに序文、はじめに、用語集
- 代表的な枠組み
- ブレイク・スナイダー・ビート・シート。十五のビートを一枚のページに収める
- 主題
- 脚本:アイデア、ジャンル、主人公、構成、原稿の修正、売り込み
- 向いている読者
- 前提はあるのに、それを草稿としてまとめきれない書き手
なぜ重要なのか
『Save the Cat!』は教室からではなく、スペック脚本(依頼を受けずに書いて売り込む脚本)の書き手として働いたスナイダーの経験から生まれた。読み味もそのとおりで、くだけた口調で市場を意識し、書き手が実際に草稿へ持ち込む問題を軸に組み立てられている。長く残る貢献は、ブレイク・スナイダー・ビート・シートだ。名前のついた十五のビートにページ位置を添えた一枚の書式で、物語がどこで転じるかを語るための共通の言葉を、一世代の書き手に与えた。批判を招くのも、その具体性ゆえである。比率として示された位置は公式として読まれやすく、本書自身の例も当時のアメリカの主流映画に大きく偏っている。
出典
5分で要点を読む
一文のアイデアから完成した脚本へ進む全八章と、本のほかのどの部分よりも長く読み継がれてきた一枚のページ
核心命題
『Save the Cat!』によれば、たいていの脚本は書かれる前にすでに失敗している。アイデアが一度も試されていないからだ。スナイダーの順序は、アイデア、ジャンル、主人公、構成と進む。まず、葛藤と観客を約束するログライン。次に、観客がすでに何を期待しているかを教えてくれる、なじみのある物語のタイプ。その約束をいっそう鋭くするために選ぶ主人公。そこで初めて、ブレイク・スナイダー・ビート・シートの十五のビートを、約110ページの脚本に対する比率として並べる。後半の章は同じ論理を完成稿に向け、必要なものは形のうえではすべてそろっているのに、物語にまるで引きがない時、何が間違っているのかを問う。
本書の流れ
- 01
一文から脚本が売れるまで、全八章
本書は部に分かれず、一続きの議論として進む。アイデアを正しくつかみ、タイプのなかに位置づけ、それを鋭くする主人公を配し、構成をビートに分解し、目に見える形に組み立て、苦労して得たいくつかのルールに従い、壊れたところを直し、そこで初めて市場へ持ち込む。
全目次を表示(全8章)全目次を隠す
一文から脚本が売れるまで、全八章
- 01
それは何なのか?
技術より先に、売れるかどうか。聞き手にその映画を観たいと思わせるには、ログラインに何が必要か。一文で語れないアイデアは、なぜまだ書く段階にないのか。
- 02
同じものを……ただし、ひと味違うやつを!
あらゆる映画を分類できる十の物語タイプを提案する。書き手はそれによって、この種の物語に観客がすでに何を期待しているか、新しいひねりの余地がまだどこにあるかを見通せる。
- 03
これは、ある男が……
焦点を前提から主人公へ移す。主人公はアイデアに合わせて調整すべきで、その逆ではないと論じ、両者が従うべき定数としてログラインを据える。
- 04
ビートに分解しよう!
ブレイク・スナイダー・ビート・シートを紹介する。約110ページの脚本を想定し、名前のついた十五のビートにページ位置を添えたもので、書き手が執筆前に埋める一枚のページとして示される。続いて『デンジャラス・ビューティー』(原題 Miss Congeniality)を、ビートごとに当てはめてみせる。
- 05
完璧な獣を組み立てる
ビート・シートを、四段のボードと四十枚のカードという手で触れられる形に変える。そうすることで、テンポの問題が漠然とした不安ではなく、空白や詰め込みすぎとして目に見えるようになる。
- 06
脚本の物理学における不変の法則
経験から引き出され、それぞれに名前のついたルール集。書名の由来になったルールや「変化の軌道」(The Covenant of the Arc)を含み、どれも脚本が観客を失う特定の道筋を説明する。
- 07
この映画、どこがおかしい?
うまくいかない完成稿のための、名前のついた点検項目。受け身の主人公、筋を説明してしまう台詞、変化を迫るには弱すぎる敵役から始まる。
- 08
最後のフェード・イン
原稿を離れて市場へ向かう。業界への近づき方、避けるべきこと、そしてどの一本の売却よりも長期的な立ち位置が大切な理由。
何度でも立ち返りたい言葉
目次
構成についての助言の多くは、届くのが遅すぎる。これはいけると信じる前提があり、もう四十ページか六十ページは書いた。なのに、言葉にしにくい形で何かがおかしい。シーンは一つずつなら機能しているし、台詞も悪くない。それでも作品全体に引きがない。たいていの人は、壊れているシーンを探しにかかる。
スナイダーの答えは、もっと手前、アイデアそのものまでさかのぼり、それが一度でも試されたのかを問うことだ。この順序の入れ替えがあるからこそ、本書は、その自信に満ちた口ぶりが苦手な書き手にも役に立つ。執筆中に起こる問題の多くを、六十ページ目になってようやく表に出てきた前提の問題として扱うのだ。
脚本がくぐり抜けなければならない一文
技術より先に、構成より先に、スナイダーは商業的な問いを投げかける。あなたの企画に関心を持つ理由など何もない相手に、これが何なのかを一文で言えるか。ここでつまずくことを、彼は売り込み上の不便ではなく、失格とみなす。一文で語れないアイデアはまだ書く段階にない、と彼は論じる。
彼はその一文に、単なる内容説明以上の二つのものを求める。一つ目について、彼は言葉を濁さない。「よいログラインに欠かせない第一の条件、何よりも重要なただ一つの要素、それは皮肉だ」。ここでいう皮肉とは、状況そのものに組み込まれた矛盾のことだ。たとえば、休暇中の警官が立てこもり事件に巻き込まれる、といった具合だ。この矛盾がなければ、前提を動かすエンジンがない。二つ目は映像だ。あなたがまだ書いていないシーンが、聞き手の目に浮かぶようでなければならない。聞き手があなたの言葉をなぞって繰り返すことしかできないなら、そのアイデアは、あなた以外の誰の頭のなかでもまだ花開いていない。
その一文は、三つのことも名指ししなければならない。主人公は誰か。何が立ちはだかるのか。何が危険にさらされているのか。どれが欠けているかで、抱えている問題の種類がわかる。対立のない前提は、物語というより状況にとどまりがちだ。懸かっているものが何もない前提は、たいてい人物スケッチにすぎない。どちらも、欠けている部分が見えてくるまでに六十ページを飲み込みかねない。
スナイダーは、書き始めてからもログラインを手放さないよう求める。ログラインは草稿が従うべき定数として机の上に置かれ続ける。だから物語が脇道にそれた時、何かを発見しているのか、筋道を見失っているのかを見分けられる。
原著の参照箇所: 第1章「それは何なのか?」は、ログラインとその条件を扱う。皮肉(6ページ)と、一文のなかに映画全体が見えなければならないという要求(7ページ)もここにある。第3章「これは、ある男が……」は、アイデアに仕える主人公と、「ログラインに忠実に」(Slave to the Logline)の節(63ページ)を扱う。これらを執筆前の一つの試験としてまとめたのは、Muses による編集上の整理である。
同じなのに、どこか違う
一文が持ちこたえたら、次の問いは、観客がそこから、すでに何を期待しているかだ。スナイダーはあらゆる映画を、自ら名づけた十の物語タイプに分ける。「家のなかのモンスター」(Monster in the House)、「難題に直面した平凡な奴」(Dude with a Problem)、「人生の節目」(Rites of Passage)、「バディとの友情」(Buddy Love)、ほかに六つある。分類そのものより、彼がそれを何に使うかのほうが重要だ。
タイプがいちばん役に立つのは、観客が携えてくるものの地図としてだ。観客はタイプをすでに知った状態でやって来て、期待を抱えている。書き手はそれに応えるか、意図して裏切るかのどちらかになる。自分の作品のタイプがわかれば、観客がどのビートを待っているかがわかる。つまり、本物の驚きを仕掛ける余地がまだどこにあるか、どこで「驚き」が物語の失敗に見えてしまうかもわかる。
スナイダーは、独創性より観てきた映画の幅を重んじる。同じ種類の映画を十分に観るまでは、自分の物語のどこがありきたりなのかはわからない。しかも、と彼は付け加える。ここ数年の作品を横に見渡すだけでなく、系譜をさかのぼって観なければならない。最近の映画が教えてくれるのは、いまの表面だ。系譜を見れば、どの選択がかつては革新で、どれがすでに型として固まったのかがわかる。
原著の参照箇所: 第2章「同じものを……ただし、ひと味違うやつを!」は、十の物語タイプと、この方法が前提とする映画の知識の深さ(22ページ)を扱う。十のタイプ名はスナイダー自身の命名である。ジャンルを分類の仕組みではなく観客の期待の地図として捉えるのは、Muses の読みである。
一枚のページに十五のビート
本書でいちばん知られている部分は、一枚の書式だ。スナイダーのビート・シート(beat sheet)は、彼が執筆前に埋める一枚のページである。一、二文で説明できないビートは、まだ練り上げられていないビートだという考えに基づいている。章の後半で彼は、完成した映画『デンジャラス・ビューティー』(原題 Miss Congeniality)を、ビートごとにシートへ当てはめていく。
十五のビートと、原書に印刷されたとおりのページ位置は次のとおり。
| # | ビート | ページ |
|---|---|---|
| 1 | オープニング・イメージ(Opening Image) | 1 |
| 2 | テーマの提示(Theme Stated) | 5 |
| 3 | セットアップ(Set-up) | 1–10 |
| 4 | きっかけ(Catalyst) | 12 |
| 5 | 悩みのとき(Debate) | 12–25 |
| 6 | 第一ターニング・ポイント(Break into Two) | 25 |
| 7 | サブプロット(B Story) | 30 |
| 8 | お楽しみ(Fun and Games) | 30–55 |
| 9 | ミッド・ポイント(Midpoint) | 55 |
| 10 | 迫り来る悪い奴ら(Bad Guys Close In) | 55–75 |
| 11 | すべてを失って(All Is Lost) | 75 |
| 12 | 心の暗闇(Dark Night of the Soul) | 75–85 |
| 13 | 第二ターニング・ポイント(Break into Three) | 85 |
| 14 | フィナーレ(Finale) | 85–110 |
| 15 | ファイナル・イメージ(Final Image) | 110 |
ページ番号は、最もよく引用され、最もよく誤読される部分だ。スナイダーはそれを約110ページの脚本に結びつけ、もっと長いドラマでも比率は変わらないとはっきり述べている。つまりこれは、彼が仕事で使っていた単位で表した比率であって、脚本が必ず当てなければならない目印ではない。比率として読めば、シートは変化の速度を描き出す。物語が腹を決めるまでにどれだけ迷っていられるか。どこまで進んだところで足場が揺らぐべきか。どん底をどこまで遅らせても、なお這い上がる余地を残せるか。
ページ番号として読むと、批判者たちが反発する公式になってしまう。但し書きは本のなかにある。融通が利かないという評判の大部分は、表だけを手元に残し、そのすぐ後に続く一文を落とした読者から来ている。
なかでも二つのビートは、付け足しではなく構造を担っているので、注目に値する。オープニング・イメージには、観客と取り決めを交わす役目がある。筋が動き出す前に、トーンと規模を示すことだ。スナイダーはこれをファイナル・イメージと対にし、二つが同じ世界の「前」と「後」になるようにする。そして、早い段階で、たいていは主人公以外の誰かが口にするテーマ(テーマの提示)。これが置かれるのは、スナイダーが脚本を一つの議論と考えているからだ。どう生きるべきかについての命題を、映画の残りの部分が検証していく。これは見かけ以上に強い主張で、彼がなぜ5ページ目までにその命題を示しておきたがるのかを説明している。
原著の参照箇所: 第4章「ビートに分解しよう!」。ビート名とページ位置は、70ページに印刷されたビート・シートの書式から転載した。これらが約110ページの脚本に対する比率であり、もっと長いドラマにも当てはまるという著者自身の説明は71ページにある。同じページで、「お楽しみ」(Fun and Games)はそのビートに彼が自分でつけた名前だと断っている。オープニング・イメージとファイナル・イメージの対、脚本を議論とみなす主張は72–73ページ。章の後半では、シート全体を『デンジャラス・ビューティー』に当てはめている(92–95ページ)。
手で触れられる形にする
次にスナイダーは、ビート・シートをボード(The Board)へ移す。幕の区分ごとに一段、全部で四段。そこに四十枚のインデックスカード。制約こそが肝心だ。四十枚は多くの書き手が思うより少なく、足りないからこそ、何を入れるかを決めざるをえない。
ボードがもたらすのは、整理ではなく、さらけ出すことだ。想像しているうちは途方もなく大きく感じたシーンも、四十枚のうちの一枚になる。二十分はもつと思っていたシークエンスが、三枚のカードとその後の空白にすぎなかったとわかる。詰め込みすぎた第一幕や、どんどん薄くなっていく第三幕のように、読んでいるあいだは感じ取りにくい問題が、物理的な配分として目に見えるようになる。
彼は作業の順番も決めている。まず蝶番となる転換点を貼り、つなぎの部分はあとから埋める。質感より先に構造。ビート・シートに組み込まれているのと同じ優先順位だ。
原著の参照箇所: 第5章「完璧な獣を組み立てる」は、ボードと四十枚という上限、シーンを並べて見た時に期待がしぼむ効果(104ページ)、大きな転換点を先に置くようにという指示(105ページ)を扱う。
変わらないのが敵役である理由
第6章には、スナイダーが、それを生んだ状況にちなんで名づけたルールが集められている。そのうち一つは取り出して考える価値がある。後半を切り落とした形でたびたび引用され、そのせいで意味が逆になっているからだ。
「変化の軌道」(The Covenant of the Arc)は、登場人物は全員、物語のなかで変わらなければならないと定める。そしてすぐに、敵役だけを例外にする。この例外にこそ考え方の核がある。変化は、登場人物全員に均等に配るべき性質ではない。変わることを拒む姿勢こそが、対立する側を際立たせる。学んでしまう悪役は別の何かになる。主人公が動くあいだ動かないままの脇役たちは、ただの背景に見えてしまう。
同じ章のもう一つのルールは、もっと地味で、役に立つ場面はずっと多い。スナイダーは原文でわずか五語、こう言い切る。「危険は、今そこにある危険でなければならない」。さらに彼は、その脅威が何を奪うのかを最初から観客に見せるよう求める。代償が言葉で説明されるだけの脅威は、緊張を生まない。危険な前提なのに中だるみする第二幕が多いのは、そのためだ。
原著の参照箇所: 第6章「脚本の物理学における不変の法則」は、変化の軌道と、そこで明言される敵役の例外、そして今そこにある危険と伝えられるだけの危険の違いを扱う(いずれも134ページ)。その例外を、言い落としではなく人物造形として読むのは Muses の解釈である。
見ているだけの主人公
第7章でスナイダーは、この方法を書き上げた脚本に向ける。書き直しの途中で行き詰まっている人にとって、その中心にある診断だけでも本の値段に見合う。
失敗の正体は、受け身の主人公だ。ほかのすべてが正しくても起こるので、見つけにくい。どのビートも決まり、筋は予定どおりに進み、構成は健全だ。欠けているのは因果である。出来事は正しい順番で起こり、主役はその場に居合わせるが、どれ一つ自分で引き起こしてはいない。スナイダーは直し方を法則として述べる。「主人公は能動的でなければならない」。ただ、これは転換点ごとに投げかける問いとして使うほうがうまく働く。主役はこれを自分で選んだのか。それとも、ただ身に降りかかっただけなのか。
スナイダーは、この章の点検項目にそれぞれ名前をつけている。「主導権を握るのは主人公だ」(The Hero Leads)、「セリフでプロットを語っていないか?」(Talking the Plot)、「悪い奴はひたすら悪く」(Make the Bad Guy Badder)、ほかに六つ。最初の三つが扱うのは、主人公の主体性、シーンが劇として見せるべき筋を説明してしまう台詞、変化を迫るには弱すぎる敵役だ。どれも大ざっぱな道具だが、丁寧に読み返すだけでは礼儀正しく素通りしてしまう問題を見つけ出すのは、まさにこういう大ざっぱな道具なのだ。
行き詰まった原稿のためにとっておくのではなく、どの草稿にも当てるなら、同じ点検は救出作業ではなく、繰り返し使える推敲のループ(英語記事)になる。
原著の参照箇所: 第7章「この映画、どこがおかしい?」は、動かない主人公と、主人公は能動的でなければならないという明言された法則(145ページ)、そして「主導権を握るのは主人公だ」(The Hero Leads)から「原始人でもわかるか?」(Is It Primal?)までの、名前のついた点検項目を扱う。
方法が届かないところ
本書の限界は、その成り立ちから来ている。方法が万能であるかのように装うより、限界をはっきり言うほうが公平だ。
本書は、現役のスペック脚本(依頼を受けずに書いて売り込む脚本)の書き手が、2000年代初頭のアメリカのスタジオ市場に向けて書いたもので、その市場に合わせて最適化されている。売り込めるアイデア、すばやく読める構成、それとわかる体験を約束する映画。エージェントへの近づき方と評判の築き方を扱う最終章は、最も古びた部分だ。そこに書かれた戦術は、ほぼ閉じてしまったスペック市場のものだ。ただし、何度も顔を合わせることの大切さを説く指摘のほうは、比較的古びていない。
もっと根本的な限界は、射程にある。この方法は、主人公の外的な目標が牽引する物語を前提にしており、診断がいちばん鋭く働くのもまさにそこだ。語りの声、雰囲気、議論、あるいは一人の主役を持たない群像によって組み立てられた作品に当てはめても、十五のビートは何かしらの答えを出す。だがその答えは、この作品はシートが描く種類のものではない、と告げているだけかもしれない。語り手の意識を原動力とする小説は、すべてのビートを外しても、まったく健全でありうる。
うまく使えば、これは設計図ではなく診断の道具だ。特定の種類の問題を見つけることにかけては、際立って優れている。一度も試されなかった前提、代償が増していかない中盤、行動しない主役。うまくいかない脚本にシートを当てれば、どこが悪いのかを教えてくれることが多い。あらかじめ満たすべき要件の一覧として脚本に持ち込めば、批判者たちが言うとおりの公式ができあがる。だが段落の最後まで読めば、本書は実のところ、それを求めてはいない。
原著の参照箇所: 第8章「最後のフェード・イン」は、売り込みと長期的な立ち位置を扱う(169ページ)。方法の射程、古びた市場向けの助言、設計図ではなく診断として向いているという評価は、Muses の編集上の判断であり、著者の主張ではない。
参考資料と使用版について
- ブレイク・スナイダー『Save the Cat!: The Last Book on Screenwriting You'll Ever Need』Michael Wiese Productions、2005年、ISBN
9781932907001(LCCN 2004009134)。引用箇所は、章と、この英語版の印刷ページ番号で示している。 - Michael Wiese Productions の書籍ページ:出版社による本書の書誌。
- 米国議会図書館の書誌:本書に印刷されているものと同じ目録データ。
- Open Library の版情報:版の詳細の照合用。
本ページの日本語の章名と引用文は Muses が英語の原書から訳したもので、日本語出版版の目次や訳文を引用したものではない。