
『Story』を読み直す――圧力のなかで意味を生む九つの視点
Story: Substance, Structure, Style, and the Principles of Screenwriting · 著者 Robert McKee
構成とは、人物が欲望を追い、抵抗に遭い、決定的な選択の代償を払うことで生まれる因果の形である。
読む言語: 日本語
解説の底本: 英語 · 原著言語の版
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版と出典
- 原著の言語
- 英語
- 解説の底本
- Story: Substance, Structure, Style, and the Principles of Screenwriting · 英語 · 原著言語の版
- 出版社
- HarperCollins e-books
- 出版年
- 2010
- ISBN
- 9780062039828
解説と引用は上記の底本に基づいています。以下に掲載する翻訳版の書誌情報は、この解説がその版を使用していることを意味しません。
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ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則
確認日
ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則
フィルムアート社 · 2018 · ISBN 9784845917204 · 訳者 越前敏弥
この本について
- 初版刊行
- 1997年 · ReganBooks / HarperCollins
- 構成
- 全四部 · 十九章
- 主題
- 脚本、物語の構成、人物、シーン、執筆方法
- 主な読者
- 主に脚本家。小説家、劇作家、ジャーナリスト、ノンフィクション作家にも参考になる
なぜ重要なのか
『Story』はロバート・マッキーの STORY セミナーから生まれた。ビート、シーン、シークエンス、幕から、人物、ジャンル、意味、危機、クライマックスまで、物語の技術を体系化している。長く残る貢献は、ドラマの因果関係を診断するための言葉を与えたことだ。決まったページ数の公式ではなく、応用できる原理を示す。脚本を中心としつつ、ほかの線形的な物語を書く際にも読み継がれる参考書となった。
評価と広がり
- 1998年6月、ロサンゼルス・タイムズは、本書がその時点で同紙のベストセラー・リストに18週間入っていたと報じた。
- 正規の日本語版を刊行する出版社は2018年、『Story』が19言語に翻訳されていると紹介した。その時点における同社の記述である。
- ロバート・マッキーは業界への影響力を評価され、2017年に Final Draft の殿堂入りを果たした。これは著者への栄誉であり、本書の受賞ではない。
- 参照した出版社、図書館目録、賞の主催団体の記録では、『Story』そのものの正式な書籍賞受賞は確認できなかった。
出典
5分で要点を読む
全四部・十九章を、物語の形式から完成原稿まで一本の因果の線でたどる
核心命題
『Story』の関心は、標準的な脚本の型を指定することより、ドラマの因果関係を設計することにある。発端となる出来事が人物の均衡を崩し、欲望が行動を生む。現実は期待と結果の間にギャップを開き、敵対する力は増し、代償を伴う選択がクライマックスとなる。だから構成は人物の本性を明かし、最後の価値の変化が意味を示す。
本書の流れ
- 01
第一部――作家と物語の芸術
冒頭では、よい物語がなぜ少ないのかを問う。流行の題材や定型に頼らず、応用できる形式の原理を身につけることを説く。
- 02
第二部――物語の要素
物語を考える座標を定める。構成には複数の尺度があり、設定とジャンルは制約を与え、人物の選択が意味につながる。
- 03
第三部――物語設計の原理
因果の駆動力が見えてくる。均衡の崩れが探求を生み、ギャップと複雑化がそれを激しくし、危機とクライマックスがその価値を決着させる。
- 04
第四部――執筆する作家
原理を原稿へ戻す。敵対する力を深め、必要な情報を示し、繰り返し現れる問題を解き、設計から文章へと進む。
全目次を表示(全19章)全目次を隠す
第一部――作家と物語の芸術
- 01
物語の問題
物語の形式と定型を区別し、人生への洞察と、よい物語をうまく語る技術を結びつける。
第二部――物語の要素
- 02
構成のスペクトラム
ビート、シーン、シークエンス、幕から物語全体へと進み、アークプロット、ミニプロット、アンチプロットを設計の三極として示す。
- 03
構成と設定
時代、時間の長さ、場所、葛藤のレベルによって物語世界を定義し、調査を創造的な制約へ変える。
- 04
構成とジャンル
ジャンルを観客との約束として捉え、その慣習を更新するには、まず習得しなければならないと説く。
- 05
構成と人物
人物の外面的な特徴と本性を区別し、圧力のなかでの選択が人物を明らかにし、その軌跡をつくることを示す。
- 06
構成と意味
コントローリング・アイデアを「最後の価値+原因」と捉え、説得力のある反対の思想によって物語全体で検証する。
第三部――物語設計の原理
- 07
物語の実体
主人公、欲望、葛藤、リスク、ギャップを結び、人物の内側から外へと行動を生み出す。
- 08
発端となる出来事
決定的な動揺が均衡を崩し、欲望を呼び覚まし、物語の中心的な探求を始動させる仕組みを示す。
- 09
幕の設計
段階的な複雑化、幕のクライマックス、サブプロットを用い、後の行動ほど引き返しにくくする。
- 10
シーンの設計
転換点、仕込み、回収によってギャップを開き、気づきを生み、行動の向きを変える。
- 11
シーンの分析
葛藤、冒頭の価値、ビート、終わりの価値、それを変える転換点からシーンを読む。
- 12
全体の構成
統一と変化、ペースと進行を整え、局所的な変化が一貫した全体へ積み重なるようにする。
- 13
危機、クライマックス、解決
究極のジレンマ、決定的な行動、残された要素を収める余波を区別する。
第四部――執筆する作家
- 14
敵対する力の原理
中心的な価値の単純な反対にとどまらず、その価値をさらに深く否定するところまで葛藤を進める。
- 15
説明
観客が必要とする時にだけ背景を明かし、情報を現在の葛藤と選択に働かせる。
- 16
問題と解決
確立した因果関係を壊さずに、興味、驚き、偶然、視点、翻案の問題を扱う。
- 17
人物
実在の人生のデータを写すのではなく、欲望と矛盾する側面から、演じることのできる人物をつくる。
- 18
テクスト
描写、イメージの体系、台詞、テクストとサブテクストを組み合わせ、設計した行動を言葉に担わせる。
- 19
作家の方法
ステップ・アウトライン、口頭での語り、トリートメント、脚本を通じて物語を試し、推敲を重ねる。
心に留めておきたい言葉
目次
こんな原稿を読んだことはないだろうか。いま、自分が書いているのかもしれない。主人公には詳しい過去がある。裏切りも、追跡も、犠牲もあり、中盤までに巧みなどんでん返しが二度もある。それなのに三つ目のシーンあたりから、ページには妙な静けさが漂い始める。いろいろ起きているのに、何も起きていないように感じるのだ。
問題は、出来事が足りないこととは限らない。その出来事によって、大切な何かが変わっていないことにある。
『Story』に入るには、ここがいちばん役に立つ。本書の体系が出発点とするのは、転換を何ページ目に置くかではなく、行動が人間の状況に何をもたらすかだ。信頼は疑念に変わったか。自由は支配のもとへ狭められたか。安全だと思っていたものが危険だとわかったか。出来事が過ぎた後、全員が以前の生活に戻れるなら、その一連の場面は忙しくても、まだ物語にはなっていないかもしれない。
以下の九節では、一つのシーンから主人公の最後の選択まで、この変化をたどり、推敲の実作業へ戻ってくる。
読む前に: Muses は九つの編集上の問いに沿って本書を組み直している。「マッキー式九段階メソッド」ではない。以下の映画は、いずれもマッキーが実質的な分析を行っている作品だ。概念の説明に必要な筋だけを紹介し、重要な事実や結末を明かす前には注意書きを置く。
1. 形式としての物語――出来事は起こるのに、物語が起こらない時
出来事を数える前に、何が元に戻れなくなったかを問う
動きは物語と取り違えやすい。悪い知らせ、口論、追跡、サイレン。シーンはいくらでも騒がしくなる。それでも主人公は、入ってきた時とまったく同じことを信じたまま出ていくかもしれない。関係は変わらず、危険は避けにくくなっておらず、次の行動を変える必要もない。家具は揺れた。物語は動いていない。
マッキーが目を向けさせるのは、人間の経験のなかで転じうる価値だ。信頼と裏切り、自由と支配、愛と無関心、安全と危険、正義と腐敗。葛藤がそれらの価値に、知覚でき、その後に影響する変化を生む時、単なる出来事は物語上の出来事になる。
ここから、なぜ「今日」なのかも見えてくる。人は結婚生活や仕事や恐れに、何年も耐えてきたかもしれない。主筋が動き始めるのは、古い均衡がもう保てなくなる時だ。先延ばしにできた問題が答えを迫る。なんとか維持できた関係が維持できなくなる。均衡の崩れが欲望を呼び覚まし、欲望が次の行動に方向を与える。その瞬間までに作品が準備を重ねることはあっても、それ以後、人物は以前の生活をただ再開するわけにはいかない。
『カサブランカ』を一つにするのは、ジャンルの混合ではない
『カサブランカ』の中程度のネタバレ。 設定と複数の筋の合流を扱う。結末には触れない。
戦時下のカサブランカには、材料が多すぎるほどある。難民、抵抗運動、闇で取引される通行証、昔の恋、歌、機知、公権力、脱出。表面だけを写せば、映画らしいものの立派な一覧になる。映画がまとまっているのは、そのすべてが、同じ一人の男が守り続ける均衡を揺さぶるからだ。
リックはカフェを営み、中立を貫くと言い張る。その態度によって、戦争から距離を置き、自分の過去にも蓋をしていられる。だがイルザが抵抗運動の指導者ヴィクター・ラズロと現れると、私的な愛と公的な責任は別々の線路を走れなくなる。通行証も、過去への問いかけも、政治的な要求も、一つずつリックの余地を狭める。「誰のためにも危険を冒さない男」であり続ける余地を。
マッキーは第12章でこの映画を用い、統一と変化を論じる。形式は、あらかじめ指定された外形ではない。欲望、抵抗、選択、結果の間にある関係の束だ。定型は、その関係を答えで置き換える。十ページ目までに何かが爆発しなければならない、中間点では師が死ななければならない。形式は「なぜこの変化が次の変化を必然にするのか」と問う。定型は「この枠に何を入れることになっているのか」と問う。
この区別によって、推敲は機械的な作業ではなくなる。第三幕が弱く感じられても、爆発を大きくすればよいとは限らない。結末で変わる価値が、それ以前の物語では重要になっていないのかもしれない。主人公が変化を起こしていないのかもしれない。構成は人物に押しつける格子ではない。圧力がその人物に届いていない箇所を見つける助けになる。
原著の参照箇所: 第1章「物語の問題」、第12章「全体の構成」。第13・17・18章も参照。ここでは Muses が『カサブランカ』を使い、章をまたぐ関連概念を結びつけた。形式を定型より重視するマッキー自身の議論は、互いに異なる多数の映画を根拠にしている。
挨拶を返さないだけで親密さは変わる。判決一つで人生全体が組み替わる。これほど大きさの違う変化は、どうすれば一つの設計になるのだろう。
2. 構成の見取り図――朝食から始めて、視野を広げる
最小の構成は、一つの行動とそれへの応答
『クレイマー、クレイマー』の序盤。ジョアンナが家を出た後、テッドは息子の朝食を作らなければならない。準備もないまま、人生に突然新しい役割を任された多くの人のように、彼はビリーに、すべて大丈夫だと約束する。その声は、本人の気持ちより確かに聞こえる。
『クレイマー、クレイマー』の重大なネタバレ。 序盤の朝食から、親権争いと映画の主要な転換までを扱う。
テッドは不適切な器を手に取る。ビリーが指摘する。テッドは注意を無視し、自信があるように振る舞う。フライパンが手に負えなくなる。ビリーの不安は批判に変わる。テッドは安心させる態度から命令へ移り、とうとう火傷する。一つ一つの振る舞いに応答が返り、それが次の調整を迫る。マッキーはこのような行動のやり取りを「ビート」と呼ぶ。
少し引いて見よう。朝食の始め、テッドは自分の能力を信じ、ビリーも恐る恐る父親を信じようとしている。終わりには、父親としての自信、子どもの信頼、家族が日常を営んでいける見込みが、いずれも下がっている。いくつものビートが積み重なり、価値が転じる一つのシーンとなった。
さらに引いてみる。シーンはシークエンスをつくり、より強い変化に至る。シークエンスは幕をつくり、そのクライマックスが以後の条件を変える。幕は物語の最終的な変化をつくる。第9章は『クレイマー、クレイマー』の大きな転換を四つ挙げる。ジョアンナが去り、親権を求めて戻り、裁判所が判断を下し、最後には両親が子どもの必要を中心に行動する。朝食に含まれていた小さな問い――この男に息子の世話ができるのか――は少しずつ広がり、やがて一人の人生と制度が答えを求められる。
これが尺度としての構成だ。用語が役立つのは、変化の大きさと機能を比較できる時に限られる。小さな単位は圧力を蓄え、大きな単位はルールを変える。すべてのビートがクライマックスのように振る舞えば、観客の感覚は麻痺する。幕の転換が前の葛藤を大声で繰り返すだけなら、物語は内側へ崩れる。「テンポの問題」の多くは速度の問題ではなく、変化が置かれた位置にふさわしい重みを持たない問題なのだ。
マッキーは全体の設計も、アークプロット、ミニプロット、アンチプロットで整理する。この区別が扱うのは、終結、開かれた終わり、断裂した因果関係だ。最後の節で方法の限界を考える際に役立つ。
原著の参照箇所: 第2章「構成のスペクトラム」、特に「物語設計の用語」で、ビートから物語全体までを定義する。第9章「幕の設計」と第10章「転換点」では、『クレイマー、クレイマー』をシーンと幕の尺度で分析し、第13章は危機の設計を補う。本書は、この映画の全シークエンスを網羅した図を提示しているわけではない。
3. 物語を動かすもの――現実が初めて「ノー」と答える時
世界が行動に答えると、物語が動き出す
『チャイナタウン』で、私立探偵ジェイク・ギテスは、自分の殺人事件の仮説を裏づけるように見える証拠を見つける。警察がすぐそこまで迫るなか、彼はエヴリン・モーレイを問い詰める。自白か、推理の確認を期待している。自分が入った部屋の状況を理解しているつもりなのだ。
『チャイナタウン』の重大なネタバレ。『ジョーズ』の冒頭と予告される対決についての中程度のネタバレ。 『チャイナタウン』の家族に関わる真相に触れるが、台詞は再現しない。
エヴリンが告げるのは、家族をめぐる、もっと危険な真実だ。被害者、容疑者、守られるべき人の位置が変わる。ギテスの集めた事実は消えていない。その事実から彼がつくった世界が消えたのだ。目の前の人々を解釈し直し、予定していたより危険な行動を取らなければならない。
マッキーは、期待した結果と実際の結果の裂け目を「ギャップ」と呼ぶ。作家が恣意的に差し込む驚きではない。先行する原因から生じながら、人物の理解を超える形で、現実が行動に答えることだ。ギャップがなければ、主人公は計画を実行するだけになる。無作為な衝撃しかなければ、選択は意味を失う。強いギャップは驚きの後に納得をもたらす。もともと、物語はこういう意味でありえた。ただ人物にはまだ見えていなかったのだ。
なぜ今日、物語が始まるのか。そして明日はなぜ、もっと難しくなるのか
主筋はしばしば、均衡の崩れで動き出す。『ジョーズ』では襲撃と署長による遺体の発見によって、海辺の町の安全が当然ではなくなる。署長にとって、それは単なる悪い知らせではない。職務と平穏な日常が、もはや両立しない。脅威を取り除き、安全を取り戻すという、行動に移せる欲望の対象が生まれる。
発端となる出来事は「なぜ今日なのか」に答える。欲望の対象は「何に向かうのか」に答える。中心的な欲望をめぐる持続した努力が、物語の背骨となる。背骨は、番号を振った連鎖の三番目の出来事ではなく、全編を貫く統一の力だ。ギャップも、一度きりのひねりではない。何度も現れる。人物が行動すると、現実は「違う。状況は思っていたより複雑だ」と答える。人物はもっと費やし、もっと危険を冒し、あるいは別の道を諦めなければならない。
その反復が「段階的な複雑化」を生む。進行とは、同じ鍵のかかった扉に三度出会うことではない。次の行動は、質か規模を変えなければならない。関係が危うくなる。退路が消える。かつて拒んだ方法を使う。
原著の参照箇所: 第7章は『チャイナタウン』を行動、期待、結果から読み、『ジョーズ』で外的な欲望の対象を定義する。第8章は『ジョーズ』の発端、第12章は因果による統一、第13章は必須のシーン、危機、クライマックスを扱う。第10・15章では『チャイナタウン』の重要な真相開示に再び触れる。
最初の立ち止まり――現実の最初の「ノー」を探す
主人公が目標に向けて初めて意識的に取る行動を選ぼう。期待した結果、実際の応答を書き、その後に「その応答のため、主人公はいま……しなければならない」という一文を続ける。結果が行動と無関係なら、偶然の使い方を点検する。次の動きが最初の動きを繰り返すだけなら、物語はまだ前進していないのかもしれない。
4. 人物――計画が通じなくなる時、人が姿を現す
詳しい人物設定も、一つの決断の代わりにはならない
観客が人物を好きになる機会を得る前に、作家はその人物を好きになっていることが多い。バーで何を頼むか、なぜ眠れないか、傷痕はどうしてできたか、どちらの親に人を信じるなと教わったかを知っている。設定資料は豊かになる一方、ページ上の人間は妙に薄くなる。誰がシーンに入り、何が脅かされても、同じ形容詞どおりに振る舞う。決断する必要が一度もない。
年齢、職業、外見、習慣、傷、過去を、マッキーは人物の外面的な特徴づけと呼ぶ。行動に信憑性を与える大切な要素だが、それだけでは本性にならない。本性は、圧力のなかでの選択によって知りうるものになる。寛大な人間だと自称し、用心深さを説明する過去を持つ人もいるだろう。だが、他人を守ることが、失うに耐えられない何かを脅かして初めて、寛大さ、あるいはその限界がドラマの事実になる。
ギャップも人物に圧力をかける。慣れた方法が失敗すれば、戦術を変え、目標を考え直し、どの価値を最も大切にするか選ばなければならない。その応答は、性格の説明では主張するしかなかった何かを明らかにする。
リックは自分が何者かを語る。空港も、彼が何者かを語る
『カサブランカ』の重大なネタバレ。 リックの最後の決断と、通行証の行方を明かす。
リックは、一つの答えを中心に人生を築いてきた。冷静で、中立で、誰のためにも自分を危険にさらさない。その答えは、まったくの嘘ではない。自分を守りたいし、イルザも欲しい。その私欲を消し、出番を待つ隠れた英雄にしてしまえば、最後の選択は重みを失う。
空港では、愛、通行証、政治的責任が、一つの決断へと集約される。イルザを自分のもとに留めながら、ラズロと逃がすことはできない。中立と関与の両方を保つこともできない。彼は望んだ私的な未来を手放し、二人を送り出し、反ファシズムの闘いに関わる方向へ戻る。その行為は本人の自己説明と食い違い、私たちに解釈し直すよう迫る。
その決断は、本性を明かすと同時に、リックの進む方向も変える。人物の軌跡は道徳的な成長を伴うとは限らない。圧力が増すなかで変わることも、信念を保つこともある。始めと終わりの選択が、その道筋を見せる。プロットが人物に圧力をかけ、その応答が次に何が起こるかを決める。
原著の参照箇所: 第5章「構成と人物」と第17章「人物」は、外面的な特徴づけと本性を区別する。第13章は『カサブランカ』でのリックの最後の決断を、危機であると同時に人物を決定づける選択として扱う。
5. 葛藤と賭けられたもの――朝食が銃撃より緊迫する理由
危ないのはフライパンだけではない
『クレイマー、クレイマー』の朝食へ戻ろう。武器を持つ悪役も、時を刻む爆弾もない。テッドはただ、息子にフレンチトーストを作りたい。だが油が熱くなりすぎ、材料が思いどおりにならなくなると、緊張は台所の外まで広がる。
『クレイマー、クレイマー』の軽いネタバレ。 序盤の朝食を扱う。親権争いや結末には触れない。
テッドの内側では、恐れと見せかけの自信がぶつかる。自分にはできると信じるか、人生が手に負えないと認めるか。父と息子の間では、期待が失望へ変わる。ビリーが見極めているのはトーストの出来ではなく、残った大人が自分を守れるかどうかだ。二人の外側では、道具、時間、熱、不慣れな手順が、悪意なしに抵抗する。マッキーはこれらを、内的な葛藤、個人間の葛藤、個人の外にある葛藤と呼ぶ。
三つの力が、ささやかな一つの欲望に集まり、朝食は重みを持つ。失敗は、食べ物が台無しになる以上のことを意味する。テッドの能力、ビリーの信頼、機能する家庭への希望が、いずれも否定的な方向へ動く。賭けられるものは命でなくてよい。尊厳、居場所、職業人としての正当性、父親でいられるという最後の信念かもしれない。
目標は行動に形を与える。脅かされる価値は重みを与える。葛藤のない欲望は願望にとどまり、賭けるもののない葛藤は練習にとどまる。
相手にも守るものがあると、対立は強くなる
すべての障害を純粋な悪人に背負わせるのは手早いが、しばしば物語を平板にする。悪役が倒れれば世界は無実となり、主人公は自分の加担に向き合わずに済む。より持続する葛藤は、それぞれ独立した欲望から生まれる。制度は適正な手続きを守ろうとしているのかもしれない。愛する人は本当の喪失を恐れているのかもしれない。敵対者は自分の解決策のほうがよいと心から信じているのかもしれない。主人公のほうも、恐れを原則に見せかけている可能性がある。
そうした葛藤は、大声を必要としない。丁寧な拒絶、遅れる許可、愛ゆえに告げないことは、口論以上に欲望を阻める。激化も、音量を上げることではない。後の複雑化は、より深い価値へ届く。失敗すれば一つを失い、成功すれば別の一つを傷つけ、動かなければ第三の害を許す。
成功そのものに代償がある時、人物は単に「正しいことをする」だけでは逃れられない。圧力は、かつて拒んだ方法や、越えてはならないと思っていた境界を求める。クライマックスは、それまでの妥協と喪失から重みを得る。
原著の参照箇所: 第7章が内的、個人間、個人の外にある葛藤を定義する。第9章「複雑化と複雑さ」は『クレイマー、クレイマー』のフレンチトーストのシーンで三つのレベルの連動を示し、第10章「転換点」は、そのシーンの転換と、そこから生まれる気づきに立ち戻る。
シーンでは、賭けられたものを見える形にしなければならない。アウトラインには「信頼が損なわれる」と書ける。画面では、誰かが近づき、避け、試し、反撃する必要がある。
6. シーンの設計――台詞は値段の話、シーンは未来の話
シーンは会話ではなく、動いている関係である
『カサブランカ』の市場では、商人が布製品を売るそばで、リックとイルザが酔態、値段、パリについて話す。表面上は、元恋人同士の気まずい会話だ。だが俳優が演じられるのは、話題の下にあるせめぎ合いである。
『カサブランカ』の中程度のネタバレ。 イルザのパリでの過去に関する事実を明かす。空港の結末には触れない。
リックは関係を取り戻したい。イルザは過去のままにしておきたい。彼は商人の口上を利用して近づき、謝罪へ移り、受け入れられる余地を探る。用心深い答えに阻まれると、質問は鋭くなる。イルザはかわし、選んで譲歩し、最後に自分の結婚についての事実で彼の幻想を断ち切る。二人は過去に何があったかを話しながら、その関係に未来があるかを争っている。
一人が働きかけ、相手が応じ、二人とも調整する。訴えが失敗して取引になり、取引が脅しになり、脅しが切実な求めをあらわにする。異なる五つの文がすべて同じ行為、例えば説明だけをしているなら、言葉は多彩でもシーンは止まっているかもしれない。
冒頭では、愛は傷ついているが、和解の可能性は残る。真相が明かされると、リックのパリとイルザに対する理解が変わり、希望はより暗い状態へ移る。転換点は、機能から切り離した名台詞ではない。現実が期待を破り、価値、関係、行動の向きを変えることだ。
サブテクストは、全員が反対のことを言うという意味ではない
人が望みを隠す理由はいろいろある。礼儀、恥、恐れ、戦略。サブテクストは、すべての台詞の下に貼りつける謎解きではない。「愛している」がいつも「憎んでいる」を意味するわけでもない。言葉と、その背後にある目的がぴったり重ならない時に、俳優が演じられる緊張のことだ。
だから、引用したくなるほど気の利いた台詞でも、生気を感じられないことがある。人物は作家の知性を披露するが、相手が今したことを受け止めていない。生きたシーンには応答の痕跡がある。一言が次の戦術を変え、沈黙が力を移し、事実が古い目標を古い方法では追えなくする。
価値の分析を、すべてのシーンが愛から憎しみへ飛躍すべきだという要件にしてはいけない。価値は、程度や理解の面で静かに動くこともある。説明する気がある状態から、もう説明しない状態へ。許せるかもしれなかったことから、意識して忘れないことへ。変化の大きさは、全体のなかでのシーンの位置に応じる。ただ、変化が感じられなければならない。
原著の参照箇所: 第10章「シーンの設計」と第11章「シーンの分析」。第11章は『カサブランカ』の市場のシーンを、葛藤、冒頭の価値、ビート、終わりの価値、転換点から分析する。ここでの要約は、本書の十一ビートへの分解を再現したものではない。
二度目の立ち止まり――台詞を行動の動詞に置き換える
気に入っている会話のシーンを選ぼう。重要なやり取りの横に、行動を動詞で書く。探る、安心させる、取引する、引き延ばす、辱める、助けを求める。何度もの応酬が同じ動詞を繰り返すなら、相手の応答が新しい戦術を強いるようにする。それから入口と出口を比べよう。そのやり取りで、どの可能性が開き、どれが閉じたか。
7. 意味――物語が何を信じるかは、クライマックスに現れる
人物が自由を語っても、物語が自由を信じているとは限らない
作家が理解されたいと焦る時、テーマは台詞に顔を出しがちだ。誰かが突然、愛、勇気、正義について的確な一文を語り、線を引いてくれと訴える。だが、物語の最も深い信念は、いちばん雄弁な人物のものではない。行動が最後にもたらす結果に宿る。
人物は自由を称えながら、他人の犠牲によって繰り返し自由を得て、結末もその犠牲に報いるかもしれない。その場合、構成は演説と違うことを語る。悲劇も、自動的に悲観的になるわけではない。失敗によって、行われなかった行動がなぜ必要だったか、拒み続けたことが最後に何を壊したかが見えることもある。意味は、筋に貼りつける解説ではない。因果関係が終点に達した後に残る価値判断だ。
『チャイナタウン』は、知ることと正義を切り離す
『チャイナタウン』の重大なネタバレ。 最後の対決が悲劇へ向かうことを示すが、逐一再現はしない。
ギテスは真相を突き止め、エヴリンとキャサリンを守ろうとする。探偵物語のなじみ深い約束では、知識は制御につながるはずだ。謎を解けば、不正は隠れ場所を失う。だが最後の対決でも、ノア・クロスの私的・社会的な力が勝る。探偵は知識を得る。正義は実現しない。
マッキーは、この悲観的なコントローリング・アイデアを、より限定した形で述べる。悪は人間性の一部だから勝利する。その読みを映画全体にたどると、個人の洞察と勇気が、人間の動機や根を張った権力の生む抵抗を越えられない様子も見える。この思想は、登場人物が「権力が勝つ」と宣言することで生まれるのではない。動機、対抗する力、行動が合流し、取り消せない否定的な結果に達するのだ。
「コントローリング・アイデア」は、執筆前に机の上へ貼るべき一文のように聞こえるかもしれない。実際には、物語が形を持ってから見つけ、検証するものとして使うほうが有益なことも多い。最後に何の価値が変わり、その変化を生む主な行動や力は何か。「家族についての物語」には方向も原因もない。「物語の間ずっと避けていた代償を、誰かがついに引き受けるため、信頼が回復する」なら、一つ一つのシーンで試せる。
意味にも、説得力のある対抗者が要る。善人はいつも賢く寛大で、反対する者はみな愚かなら、クライマックスは作家が仕組んだ議論に作家が勝ったと告げるだけだ。反対の思想は、本物の利点や誘惑を備えなければならない。『チャイナタウン』が深いのは、暗いからではない。結末に力があるのは、それ以前の物語が着実に積み上げた力の不均衡を、結末が全うするからだ。
マッキーは全体の動きを五つに分けて説明する。発端となる出来事が均衡を崩す。段階的な複雑化が可能性を狭める。危機が、両立できない価値の間で決断を求める。クライマックスがその答えを行動によって取り消せないものにする。解決が、変わった秩序を十分に示し、意味と感情を届かせる。この用語は埋めるべき五つの箱ではない。高まる圧力が、選択、結果、そして意味へどう変わるかを表している。
原著の参照箇所: 第6章「構成と意味」は『チャイナタウン』から悲観的なコントローリング・アイデアを取り出す。第8・9・13章は五つの部分を展開し、第13・14章はクライマックスと敵対する力の深さを映画の結末へ結びつける。上記の定式化は完成した映画に対するマッキーの解釈であり、製作者の意図を唯一のものとして述べたものではない。
8. 執筆の方法――文を選ぶ前に、物語を立たせる
美しいシーンほど、切り捨てにくくなる
書けないから苦しむ作家ばかりではない。書けるから苦しむことも多い。シーンに声とリズムと、残したい台詞が三つ生まれた途端、物語の役に立たなくても、切ることが浪費に思えてくる。数分で動かせたはずのカードが、何日も守り続けるシーンになる。
マッキーは、世界とその制約を調べ、ステップ・アウトラインでシーンの動きを試し、口頭で物語を語ってから、トリートメントと脚本へ進むことを勧める。各段階は、まだ比較的変えやすいうちに判断を試すためにある。
『悪魔のような女』は、台詞がなくても注意を引きつける
『悪魔のような女』の中程度のネタバレ。 殺人の計画、遺体の消失、水のモチーフを明かすが、最後の説明には触れない。
マッキーは、二人の女が、自分たちを虐待する男の殺害を共謀し、遺体を隠し、それが消えたと気づく話を語る。水は環境のありふれた一部から、繰り返し現れる脅威へ変わる。磨かれた台詞がなくても、語りは問いを生み続ける。計画はうまくいくのか。遺体はどこへ行ったのか。次に水が現れる時、何を意味するのか。欲望、行動、予想外の結果、サスペンスが、すでに注意を保っている。
マッキーはこの映画を教材として短く語り、口頭の語りでも期待を生み、持続させ、応えられることを示す。作家も、物語を全文へ広げる前に同じ試し方ができる。
調査も同じ試験を通すべきだ。法的手続き、職業上の権限、地理、物理的な限界を知ることに意味があるのは、それが人物にできることを変える時だ。誰が決められるのか。情報はなぜ遅れるのか。分別のある人がなぜ抵抗するのか。可能な行動を何も変えない十ページのメモは、資料の集まりであって、物語の設計ではない。
同じ原稿を、三つの距離から見る
磨き上げた原稿に捕らわれ始めたら、層を分けて推敲する(英語記事)ことを試してほしい。同じ原稿を三つの距離から見て、必要に応じて行き来する。
第一に、物語を語る。なぜ今日、均衡が崩れるのか。主人公は何をすれば取り戻せると思うのか。現実はどう繰り返し拒むのか。どんな最後の選択が避けられなくなるのか。この読みでは欲望と因果を試す。
第二に、シーンを動かす。カードには、目先の欲望、抵抗、始めと終わりの価値、次のシーンを必要にする問いだけを残す。三つのシーンがすべて「もう一つの手がかり」を与えているなら、一つは関係を変え、一つは代償を増し、あるいは行動の向きを変えるようにする。この読みでは進行を試す。
第三に、文章へ戻る。説明のために物語を止めず、必要な情報を、取引する、隠す、説得する、傷つけるといった行動の内側に入れる。各ビートの下にある行動に名をつける。台詞を声に出し、行動ですでに明らかになったことを削る。この読みでは、シーンを演じられるかを試す。
この読み直しは循環してよい。声のあるシーンから書き始め、逆向きにアウトラインを組む作家もいる。信頼する相手に物語を語るなら、理解のために必要な「これは誰?」「なぜそうなったの?」という問いと、待ちきれない「それでどうなるの?」を聞き分けよう。後者は、語りが機能している兆候であることが多い。聞き手が、次の行動を知りたいと思わなくなる場所に注意する。
原著の参照箇所: 第19章「作家の方法」は、ステップ・アウトラインと口頭での語りから、トリートメント、脚本へ進むことを勧め、それ以前の『悪魔のような女』の語りを明示的に参照する。第18章は同作に繰り返される水のイメージを論じる。これは完成した映画の教材としての使用であり、製作者が実際にどの工程で作ったかの証拠ではない。上記の反復可能な三段階は Muses による編集上の整理で、本書が定めた必須の順番ではない。
方法は、なぜ物語がうまくいかないかを探り当てる。だが鋭い方法ほど、使いすぎやすい。もともと古典的な因果の満足を約束していない作品を、従来型のクライマックスがないという理由で退けてよいのだろうか。
9. 限界――よい道具を置く時を知る
開かれていることは恣意的であることではなく、閉じていることは成熟の証ではない
『Story』の強みは、過剰に適用しやすい理由にもなる。価値の変化を学ぶと、静かな箇所すべてを転換で修理したくなる。能動的な主人公を学ぶと、ためらい、閉じ込められた状態、群像の設計が誤りに見え始める。コントローリング・アイデアを学ぶと、開かれた結末をみな一つの判決へ縮めたくなる。作品を見るための枠組みが、作品に枠組みそっくりになるよう要求し始める。
『パリ、テキサス』の重大なネタバレ。 結末がどの家族関係を変え、どれを開いたまま残すかを述べる。
『パリ、テキサス』の終わりでは、父と息子が再びつながり、父は母と息子が会える条件をつくる。結婚生活や家族が続くのか、どんな形で続くのかは、解決されない。マッキーはこの映画を用い、開かれた結末にも設計があることを示す。主要な関係は決定的に変わった。観客が想像し続けられる限られた問いだけが、画面の外に残る。
これは、無作為に止めることとは違う。明確な感情の余韻があり、閉じた未来と開いた未来があることを理解できる。マッキーのアークプロット、ミニプロット、アンチプロットは、そもそも成熟度の階段ではなくスペクトラムを示す。古典的な完結は設計上の選択肢の一群であって、真剣な作品の入学試験ではない。
作品が観客に約束するものから始める
マッキーの体系は、欲望、葛藤、因果を持つ行動、クライマックスの変化を中心に組み立てるドラマで、特に力を発揮する。人が行動し、その結果、自分と世界の両方を変える経験を観客に約束しているなら、価値、ギャップ、危機、クライマックスは厳密な問いとなる。
だが小説は、語りの声によって最も深い経験を組織するかもしれない。エッセイは議論によって進み、ゲームはプレイヤーの選択に意味を置き、実験映画は意図的に完結を拒むかもしれない。用語の一部はほかへ持ち運べるが、そのままではなく置き換える必要がある。外的な行動の少ない章でも、自己正当化から加害の告白へ進むことはできる。従来の勝利がないゲームでも、失敗のたびにプレイヤーと世界の関係を変えられる。
「実験的」は、設計を免除する通行証ではない。因果の満足を拒むなら、代わりにどんな経験を差し出すのか。言葉は認識を積み重ねるか。探索は空間や社会についての理解を変えるか。開かれていることは、可能性の限られた領域へ私たちを導くか。境界は逃げ道ではない。別の組織原理を言葉にするよう、作家に求めるものだ。
二度診断するのが役に立つ。まず仮にマッキーの座標を受け入れ、欲望、ギャップ、シーンの転換、クライマックスの選択を調べる。これによって、作家がまだ名づけていなかった断絶が露わになることは多い。その後、この企画はどの座標を意図的に拒み、その拒否がどんな、より重要な経験をつくるのかを問う。
原著の参照箇所: 第2章「物語の三角形」は『パリ、テキサス』をミニプロットに分類し、その開かれた結末が未解決のまま残す、限られた問いを説明する。上記の小説、ゲーム、実験的な作品への応用は Muses の編集上の判断であり、マッキーがここでそれらの形式を分析しているという主張ではない。
三度目の立ち止まり――約束を言葉にする
「観客がこの作品に来るのは、主に______を経験するためだ」。この一文を完成させよう。答えは因果を伴う行動、声、議論、探索、選択かもしれない。この文章にある問いから、その約束を最もよく守る三つを選ぶ。ほかの道具は、作品が必要とするまで机に置いておこう。
その問いを、いちばん大切なのに、どうしてもうまくいかないシーンや一節へ持ち帰ってほしい。
人は行動し、その結果を生き、もう一度選ぶ。物語は、そこで起こる。
参考資料と使用版について
この解説では、2010年6月に ISBN 9780062039828 で刊行された HarperCollins 電子版の英語章題を基準としている。章題の日本語表記は、その内容を伝えるための訳である。作品の最初の著作権表記は1997年。章への参照は、概念や映画についてさらに読むための手がかりだ。九節の構成、比較、練習、ほかの媒体への応用は、原文の再録ではなく Muses による編集上の分析である。
書誌の確認と追加の読書には、出版社の書籍ページ、ロバート・マッキー公式サイトの書籍ページ、入手可能な版の図書館目録を参照してほしい。映画の例は枠組みを解釈して適用したものであり、作品を鑑賞したり、マッキーの詳しい分析を読んだりする代わりにはならない。
本ページの日本語の章名は Muses が英語から訳したもので、日本語出版版の目次を引用したものではない。